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いじめと石原都知事とビートたけし氏(1

2006125

宇佐美 保

 

『北海道滝川市「女児いじめ自殺隠ぺい事件」の真相』(週刊現代:2006.10.28号)に於ける次の記述(野田洋人氏(ルポライター))を読むと、娘さんとお母様がお気の毒でどなたも目にも涙が溢れてくるのではないでしょうか?

(この記述の前後は、次の《いじめと石原都知事とビートたけし氏(2》文末(補足)に転載させて頂きます。)

 

「前日、いつも娘とは2組の布団で別々に寝るのですが、なぜかその日は1組だけ敷いてあって、寝る前のわずかな時間にいつも以上に娘は私にじゃれついてきたのです。あんまり続くものですから『ハイハイ分かりましたよ』と、寝かしつけてしまったのです。今思うと……翌日のことがあって……」

 ここまで話すと母親は身体を震わせながら鳴咽し頭を垂れた。

 

 ところが石原都知事は、11月10日、記者会見で。文科相あてに届いた、「いじめを苦にした自殺予告文」について質問されて次のような発言をされています。

 

・・・

親は何で関与してこないのかね。まず、やっぱり親がとにかく関与すべきじゃないでしょうかね。それで、親にも自分の告白ができない家庭というのは、とても気の毒だと思うけど。私なんかは、いじめられているというから、子供にけんかの仕方を教えましたよ」

 「僕なんかだって、転校してきた時にいじめられた記憶がありますが、やっぱり自分で戦ったらいいと思うね。こらえ性がないだけじゃなしに、そういうファイティングスピリットがなければ一生どこへ行ってもいじめられるんじゃないの

 

 私は、石原氏は『法華経に生きる(幻冬社発行)』を書かれ、『法華経』を日々の糧とされておられるのに、何故このような発言をされるのでしょうか?

不思議でなりません。

 

 法華経の薬草喩品には、次のような記述があります。

(『大乗仏典』 中村元編 筑摩書房発行)

 

もろもろの樹の大小があるのは、樹の上中下に随っておのおの受けるところが違っていて、同じ一つの雲から降った雨ではあっても、それぞれの本性に応じて生長し、花をつけ、実をみのらせるからである。同一の大地から生じ、同一の雨にうるおされるのであっても、しかも、もろもろの草木にはおのおの差別があるのだ・・・

無数千万億のさまざまな生ける者たちは仏のところにやって来て教えを聴いた。如来はそのとき、この生ける者たちの機根が鋭いか、鈍いか、努力するか怠けるかを観察して、その堪えられる能力に応じて種々無量に教えを説き、皆を歓喜させ、快く善利を得させたのである。このもろもろの生ける者たちは、この教えを聴き終って、現世では安らかであり、彼の世では善い世界に生まれ、道によって楽しみを享受し、また教えを聞くことができ、それを聞いてもろもろの障碍を離れ、存在の中でその能力に応じてさとることができるのである。

・・・

 

私達は、このお釈迦様の教えのように“それぞれの本性に応じて生長し、花をつけ、実をみのらせる”のであって、私達の成長の度合いは、一人一人異なっているのです。

 

 私の小学校時代には、主食としてお米の代わりに百科事典の各ページを食べているのかしら?と思えるほど、何でも知っているお友達もいました。

それに引き換え私は、“学校は、友達と野球をする為の場所”と認識していました。

それは高校時代までも続きました。

休み時間に校庭で野球をしたり、プールで泳ぐ事しか頭にありませんでした。

そして、卒業したらサラリーマンになって、お昼休みに、日光を浴びながら皆とバレーボールしたりする事を楽しみにしていました。

ですから、高校時代に国語の時間、志賀直哉著の「小僧の神様」に関してだったと思いますが、先生に“この作家は、何の目的でこの作品を書いたのでしょうか?”と問われて、私は、勢い良く“作家はお金が欲しいから書いたのだと思います!”と本気で答えていました。

 

 なのに、私は、従来の電気の理論を覆す『コロンブスの電磁気学』(《『コロンブスの電磁気学』の概略》をご参照下さい)の研究執筆に費やさなくてはならない貴重な時間を割いて、今こうして、一銭のお金にも入ってこないホームページを書いています。

 

 ところが、我が友人達は定年退職しのんびりと余生を過ごしているようです。

(ゴルフをしたり、株で儲けたりと・・・でも、百科事典で育ったと思われるお友達は大学卒業後から、今まで、小学校時代と全く同じ利口そのものの顔をしてお父さんの代からのお店に鎮座ましましておられます。)

 人間の成長具合、生き方は、人それぞれです。

いじめが問題になる小中(或いは高)学校時代は、特に大きいはずです。

 

私達は、石原氏や、氏のご家族同様の能力性格等に恵まれているわけではないのです。

そして、早熟の天才ではないのです。

 

 しかし、石原氏のご長男(石原伸晃自民党幹事長代理)は、行革担当相の時、“北海道で、ある政治家の人が造ってくれといって造った高速道路でヒグマと車がぶつかった。調べたら車の台数よりヒグマが高速道路を横断している回数の方が多かった”と発言しておきながら、自民党行革推進本部総会で、鈴木宗男代議士に激しく批判されて屈服し、発言を撤回してしまったそうですから、

伸晃氏には、父上直伝の「ファイティングスピリット」が欠落しているようです。

 

 なにしろ、伸晃氏がいじめにあった際には、自ら解決せず、父上(石原都知事)が解決したと、先の(11月10日)会見では、都知事は、次のようにも語っていたそうですから。

(週刊文春:2006.11.23号)

 

ただね、一番陰湿なのは先生がいじめる。えてしてそういう教師がいるんだ。

これは子どもにとって本当に不幸だと思いますよ。いま国会議員をしている私の長男が先生にいじめられました。妙なあだ名をつけられた。(中略)僕はすぐ校長に電話した。『お前さんが監督している小学校の先生が、こういうことをしている』『もし改めさせないなら、俺は学校に出向いて、その先生をぶん殴るからな。あんたの監督責任が問われるぞ。注意しなさい』って言ったら、校長がやめさせましたよ」

 

 でも、変ですよね、何故、石原氏は、直接出向かずに電話で済ませたのでしょうか?それも、いじめている先生本人ではなく、校長に脅しをかけるなんて!

本来ならば、いじめている先生と膝詰め談判(ぶん殴るのではなく)すべきだったと存じます。

(少なくとも、自慢げに人前で話す事ではありません。)

このような石原氏には、人の上に立つ資格が欠落しているように思えてなりません。

 

 なにしろ、石原氏は他人には厳しいのに、ご自分や身内だけにはとても甘いのですから。

例えば、朝日新聞(20061115日)には、次の記述があります。

(より詳しくは、「しんぶん赤旗(2006年11月16日)」をご参照下さい。)

 

東京都の石原慎太郎知事が海外出張の際、都条例の規定を大幅に超過する高級ホテルやクルーザーに宿泊し、衆院議員時代からの秘書も、飛行機は知事と同じファーストクラスに格上げしていたことが15日、共産党都議団の調査で分かった。・・・

 石原都知事はこれまでに計19回の海外出張をしており、共産党の調査では、記録が残っている過去5年の15回分で、同行職員分も合わせて出張費の総額は約2億4350万円に及んだ。同党はこのうち6回について、情報公開請求で詳細な記録を入手し、公表した。

 ・・・

 01年9月のワシントン出張では、1泊26万3000円〜13万1500円のホテルに泊まり、同6月のガラパゴス諸島への出張では大型クルーザーを5日間借り切り、1泊あたり13万1000円だった

・・・

 石原知事はこの日、「何も豪勢な旅行をしようと行っているのではなくて仕事だから。(出張費の使い方は)知事が差配することではない。規定はよく知らないし、それからはずれているなら直さなければいけないと思う」などと語った。

 

 そして、テレビのニュースでは石原氏は“どんなホテルを予約しろ!とかは、自分からは一切指示を出していない・・・”と語っていました。

しかし、知事から直接指示されなくても、知事の為(否!自分の出世の為)(こっそり)、高級ホテルをキープするご機嫌取りが世の中には沢山います。

 

石原氏ほどの人物なら、自分が利用したホテルがどの程度のランクに相当するかは、直ぐに気が付くはずです。

そして、次回からは、そのようなホテルを避けるよう、知事自ら指示を出すべきです。

 

都の財政が逼迫している折、なおさらの事、自分の出張費がどれ程、都の財政に負担をかけているのかは、自ら常にチェックしていて然るべきです。

 

 更に、「しんぶん赤旗(2006年11月23日)」などの記事によって、私達は驚かされるのです。

 

 東京都の石原慎太郎知事がトップダウンで始めた都の事業に民間人の息子と知人を深く関与させている―。日本共産党都議団は二十二日、都庁内で記者会見し、「若手芸術家育成」の名で石原知事が始めた「トーキョーワンダーサイト」の都政私物化の実態を告発しました。・・・

 石原知事のもとで、東京都の文化施設は経営効率を押し付けられ、軒なみ予算が削られているのに、ワンダーサイトだけは、四年間で補助金が増え続け、予算は五千五百万円から四億七千万円へと八倍以上も増額されています・・・。また、同施設の運営は都の承認なしに事業計画が変更されるなど不明朗で、都の監査でも問題にされています。

 党都議団は、知事の四男、延啓(のぶひろ)氏を設立当初から深くかかわらせている事実として、(1)二〇〇五年二月にニューヨークで行われた公共芸術サミットの東京都代表四人の一人として参加させ、「トーキョーワンダーサイト設立に参加」という紹介文を送っている(2)〇三年三月にはワンダーサイトコミッティの諮問委員の名で、五十五万円の公費を使いドイツ、フランスに出張している(3)施設第一号の御茶ノ水のワンダーサイトに飾られているステンドグラスの原画の作者で、その事実を都民や都議会には隠している―ことを指摘しています。

 また、石原知事が「知己の関係」にある今村有策氏の都参与選任と同施設館長任命を〇一年十二月二十日に行い、同氏の妻・家村佳代子氏を〇六年四月からワンダーサイト副館長、青山館長に採用、ファミリー支配を行っている実態を明らかにしました。

・・・

 

 又、「しんぶん赤旗(2006年1125)」の次の記述で、一層びっくりです。

 

東京都の石原慎太郎知事は二十四日の定例記者会見で、同知事の肝いり事業「トーキョーワンダーサイト」(TWS)に四男・延啓(のぶひろ)氏を深く関与させているという日本共産党都議団の指摘について「人事の面では近しい人間に頼んでいる」とのべ、その事実を認めました。

 石原知事は、延啓氏を参加させたことや、知人である今村有策氏をTWS館長に、その妻・家村佳代子氏を同青山館館長と同副館長に選任していることについて、「正常な手続き」だと主張。

 延啓氏については「絵描きとして交際範囲もひろく、私は便利に使っている」「余人をもって代え難かったら、どんな人間でも使う」とのべました。家村氏については「あなたやりなさい」といったと語りました。

・・・

 

 何故このような石原氏の妄言行動が罷り通ってしまうのでしょうか?!

その原因の一つは、石原氏があまりにも怖いからなのでしょう。

誰も石原氏に文句が言えないのでしょう。

そして、私達都民は、独裁者石原氏によって苛められてしまっているのです。

(オリンピックの東京開催など誰が願っているのでしょうか?!

他人には厳しく、己や身内には甘い人物に為政者の資格があるのでしょうか!?)

 

 石原氏の弟の裕次郎氏は「石原軍団」なるものを作り上げたようですが、兄の石原氏は、着々と「石原ファミリー」を構築されているのでしょうか?恐ろしい事です。

 

 恐ろしいと言えば、ジャーナリストの魚住昭氏は、今回の石原都知事並び四男の問題に関する新聞各社の扱いに対して、” 知事の威光に脅えているのだろうか”と、週刊現代(2006.12.16号)「新聞の通信簿」とのコラムで次のように記述されています。

(一部を引用させていただきます)

 

 先ずは、魚住氏による新聞各社の通信簿です。


新聞社名 点数 魚住氏のコメント
朝日新聞 60 比較的まともな扱い。四男が渡欧時の1カ月だけ「外部委員」に委嘱されたのは「極めて不自然」という都幹部の言葉を引きだしてしるが、まだまだ取材のツツコミが足りない
毎日新聞 60 知事出張費は都内版四段、四男の件は社会面一段でそっけない扱いだったが、
1125日夕刊の「都知事批判のメールなどが450件あった」という記事は目のつけどころがいい
東京新聞 45

知事の出張費はどういうわけか地域版三段。

四男の件は第二社会面四段で扱ったが、歯切れれの良さも取材の深さもあまりなく、
東京新聞らしさが感じられない

読売新聞 40 都内版三段でいちおう共産党議事談の発表をそのまま報じているが、
都知事の公費濫用について徹底して取材しようという熱意がが感じられない
産経新聞 20 いちおう客観報道の体裁をとつているものの、反共・親石原色が前面に出すぎて辟易させられる。
産経に石原批判を望む方が無理な話か
日経新聞 0

石原問題を報じないということは、日経の読者にとって石原問題は存在しないということだ。
紙面の余裕がないというのは言い訳にならない。社の姿勢の問題だろう

 

 そして、魚住氏は次のように記述しています。

・・・

「都政の私物化だ」なんて言ってはいけない。知事は首相よりエラいからどんな情実も許されるのである。

・・・

 他の知事だとあれほど大騒ぎする新聞石原知事にだけは及び腰の印象を拭えない知事の威光に脅えているのだろうか。・・・

 

 魚住氏は、“新聞知事の威光に脅えているのだろうか”と書かれていますが、新聞記事になる前段階の取材記者が脅えて質問がまっとうに出来ないのですから、悲しい事です。

商売第一主義に陥り勇気を失った新聞は信用を失い、消え行くだけの道しか残されていないでしょう。

(但し、先の戦争前、戦争中の新聞のように、開戦を煽る類の道を選ぶなどして、その売り上げを伸ばそうとしている新聞もあるようですが)

 

 しかし、新聞記者、ジャーナリスト達が恐れるのは石原氏だけではないようです。

テレビでの超人気者の前には恐れ伏すだけのようです。

 

 いじめの問題に関しては、週刊ポスト(2006.12.1号)に於いて、ビートたけし氏は次のように発言されています。
(たけし氏にも、「石原ファミリー」同様に「たけし軍団」が存在しています。)

 

・・・だけど、「わかってるけど誰もいわないこと」がまだあるだろってオイラはいいたいね。

 それは、いじめられた子の親の問題はどうなってるんだってことでさ。そういうと、被害者に鞭打つような残酷なことをいうのかって批判されるんだろうけど、いじめで自殺した親の問題に触れない方がよっぽど問題なんだよ

 いじめについて真剣に討論をしようとするんなら、自殺した親の問題もきちんと狙上に載せないと事の本質も見えないし、解決策も出てこないんだよ。

 最近は自殺した子供の親がマスコミのカメラの前で、これでもかと学校の無策を罵ってみせるだろ。中には、謝罪にきた教師に土下座させて、それをビデオで撮ってる親までいる。

 オイラも、親の無念とか怒りとか悲しみはわかるよ。

でも、ちょっとやりすぎじゃねェかとも思う。本当に自分は親として、子供の悩みとか、学校で起きていることを聞いてやっていたのか。全力で我が子のいじめ問題に向き合ってきたのか。

 

学校のことは教師の責任と、まかせっきりにしてなかったか。少なくとも、教育において親と教師の責任は半々じゃねェのかな。

 それを考えた時に、あれほど学校側を一方的に責めるってのが、オイラにはわかんねェんだよ。少なくともオイラだったら、「子供のことでは先生にもご迷惑おかけしました」ってトコから始めると思うんだよ。

 そりや確かに学校が明らかにおかしいこともあるだろうさ。でも、マスコミが「子供を失った親は被害者で、学校が加害者」とまではいわないまでも、「いじめの片棒をかついだ責任者」って図式で報道することには違和感があるね。親だって責任者の片割れじゃねェのかよってね。

 ところが、ニッポン人の慣習的心情として、死んだ人に罪はない、悪くないんだとか、死んだ人間に向かって鞭打つのは残酷で可哀頼という同情論や感情論が先に出てしまうから、親に対しても同情的になってしまうんでさ。

 

 おかしいです!

“だけど、「わかってるけど誰もいわないこと」がまだあるだろってオイラはいいたいね。”と言うなら、「いじめられた子の親の問題」を云々する前に「いじめた側の親の問題」を語るべきです。

「自殺した子供の親がマスコミのカメラの前で、これでもかと学校の無策を罵ってみせる」とたけし氏は非難されていますが、「自殺した子供の親が」本当に罵りたいのは「いじめた側の子そして親」なのではありませんか!?

 

 そして、たけし氏の“学校のことは教師の責任と、まかせっきりにしてなかったか。少なくとも、教育において親と教師の責任は半々じゃねェのかな。

 それを考えた時に、あれほど学校側を一方的に責めるってのが、オイラにはわかんねェんだよ。少なくともオイラだったら、「子供のことでは先生にもご迷惑おかけしました」ってトコから始めると思うんだよ。”との発言は、当然ながら、先ずは「いじめた側の親」に向けられるべきです。

私が、小学生の時、休み時間に石炭ストーブ(当時の教室は、これが冬の暖房でした)を囲んで、皆と暖を取っていました。

その場で、ガキ大将は、針金の先を丸め、ストーブの中で真っ赤に焼き、焼き鏝状態の針金の先端を私の目の上に押付け、私はあわや失明!との思われるやけどを負い帰宅しました。

 

 帰宅すると直ぐ、ガキ大将のお母さんが私の枕元に来て、私と母に謝罪していました。
 別に、ガキ大将が、“怪我させるつもりの行為ではない”などとの言い訳はされておられませんでした。

そして、私の将来を心配して、その方がコネを有する私立の中高校学校への入学の便宜も図る事を考えたいなどと、母に話していました。

 

 

 更に“本当に自分は親として、子供の悩みとか、学校で起きていることを聞いてやっていたのか。全力で我が子のいじめ問題に向き合ってきたのか。”との発言されていますが、我が子が問題に直面しているかは日頃生活に追われていたら想像さえも出来ない事態ではありませんか?!

又、親が全力で子どもの悩みを吸い上げようとしても、子どもが親に悩みを打ち明ける事はなかなか出来ないものです。

 

 そして、「我が子のいじめ問題」に気が付いても、石原氏のような強力蛮力を誰もが持ち合わせているわけではないのです。

なにしろ、

たけし氏ご自身も、交際相手の女子大生がフライデーされた際には、
講談社本館のフライデー編集部に抗議に、
お一人で行かず、
仲間の11人(「たけし軍団」)を引き連れて襲撃したとのことですから。

 

 更に、たけし発言を引用させて頂きます。

 

 同じ理由でもう一つ誰もいわないのが……まあ、これは少しはいわれてるけど、いじめがあった学校の校長が自殺してる問題でさ。

 どんなにツラくたって負けちゃいけないわけでさ。

自殺することを選んでしまった人間にそもそも教師の資格があるのかっていいたくなるよ。体を張ってでも子供の自殺を止めなきゃいけない立場の人間が自殺するなんて、そんなの責任を取ったことにならないどころか、教育者として責任放棄なんだっての。

 

 この件に関しては、亡くなった校長先生、又、御遺族の方々に、たけし氏は丁重にお詫びすべきと存じます。

 

 「長周新聞(2006年11月15日付)」のホームページ《北九州市皿倉小の校長自殺問題 メディアの犯罪に怒り》には、次の記述があります。

 

 

 北九州市八幡東区の林で12日、市立皿倉小学校(512人)の永田賢治校長(56歳)が自殺するという痛ましい事件が起きた。皿倉小では児童のなかで起きた「金銭トラブル」の解決にむけ必死の努力を続けていたところ、突然、大手商業新聞が11日朝刊で「小学校がいじめ隠し」と大宣伝。それ以後、永田校長に「いじめ隠し校長」のレッテルがはられ、全国からメディアが殺到。地域も学校現場も市教委内も大混乱に陥っていた。毎朝校門で子どもたち1人1人に「おはよう!」と笑顔で声をかけていた永田校長を知る地域では「いい先生だった」と死を惜しむ声とともに、「殺したのはメディアだ」と激しい憤りがまき起こっている

 

 金銭トラブルをいじめと騒ぐ
 皿倉小では14日朝の全校集会で錦戸歳尚教頭が永田校長の死を伝え、全員で黙祷した。同校に通う子の母親の1人は「500人以上いる子の名前を全部覚えていた。泣顔で登校した子を見るとすぐ担任になにかあったのか家に電話してやれというような優しい先生だった。今度の金銭トラブルも校長先生は被害者の子も加害者の子も自分の子。どちらも守らないといけないといっていた。だから表に出さなかったと思う。新聞に出てから学校に死ねとか牢屋に入れとか激しい電話がかかるし、メディアが子どもに犯人は誰かと聞いて回る。メディアが騒ぐからこんなことになった」と吐き捨てるように語った。

・・・

 

 この件に関しては、TBSnews23でも若干紹介していました。

 

 又、たけし氏発言に戻ります。

 

 結局、学校に行かなくてもいいバカが、無理して行くからいじめをするんでさ。

今や義務教育のルールを変えなくちゃいけないんで、学校に行きたくない子供は無理して行かなくていいというルールを作らなきゃタメだよな。

 

 ウチの子は学校に行ってないけど、テストをすりや、中学卒業程度の学力も計算力もあるし、社会に出ても立派にやっていけるよってね。途中で勉強がしたくなったら大検もあって、何歳からでも大学だって行けるんだし。いじめをするようなガキを無理に学校に行かせる必要はないんで、今の教育は過保護すぎるんだよ

 

 確かに「学校に行きたくない子供は無理して行かなくていいというルール」は結構な事です。

しかし、仕事は機械化されたり、IT化されたりと、昔とは職種が変ってきています。

それに、誰もが大学に進学する今の時代、親としたら、なんとしても義務教育どころか大学までも進ませたいと思うでしょう。

 

なにしろ、

たけし氏のお母さんは、たけし氏が明治大学を中退された後も、
たけし氏の為に学費を大学に納入されておられたのですから!

(本文中、たけし氏関連の情報は、「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」を利用させて頂いております。)

 

 それに、たけし氏や、石原氏なら、我が子に学歴が無くても、タレントや議員、それに関連する業種に潜り込ませて上げる事は可能でしょうが、一般家庭ではかなわぬ夢でしょう!

 

 ですから、“いじめをするようなガキを無理に学校に行かせる必要はないんで、今の教育は過保護すぎるんだよ。”の件は、「今の教育は過保護すぎる」のではなくて、「いじめをするようなガキの親」の問題でもあります。

 

サンデー毎日(2006.11.26号)に記載されている〈「悪いのは教師だけか!」現場教師緊急ホンネ座談会〉の一部を抜粋させて頂きます。

 

──いじめに気付くのも、起きないようにするのも学校や教師の責務だ、という声があります。

D 親が悪い、いや学校が悪い、と責任をなすり合うことには意味がないと思います。私個人としては、親の変化〃が、子どもたちのコミュニケーション不足や、人の痛みを感じないという感性に、最も大きく影響を与えているのではないかと感じています

 − 最近の親について感じることは何でしょうか。

E ほんの些細なことでクレームがくるようになりました。成績に関して、が多いですね。通知表を渡す日とその翌日は、教師にとっては臨戦態勢です。「納得できない」という電話をかけてきたり、学校に乗り込んで来たり。母親よりも父親が増えています

 

B 最近の親には、善意が善意として通じないんです。

中学受験を控えて、夜中の2時、3時まで勉強しているせいで学校で寝てばかりいる子どもがいました。「身体を壊したらどうにもならないぞ」と注意したら、「受験の邪魔をするダメ教師」「失格教師」と、親が学校や自宅にまでガンガン怒鳴り込んで来た。

I 私がとくに感じるのは、子どもを叱れない親が多いんですよ。親と子がとてもフレンドリーで、子どもに嫌われたくないから叱らないし、叱れない。「先生から勉強するように言ってください」と、私が頼まれるんです。

H そう言えば、お母さん、お父さんではなく、「○○ちゃん」「○○」と親を名前で呼ぶ子が多いですよね。(アニメの)「クレヨンしんちゃん」が、母親のことを「みさえ〜」と呼ぶ影響が大きいのかなあ

F 私も子どもに嫌われたくない親〃子どもと仲良しになりたい親〃が増えていると感じます。だから、子どもが『あの先生はよくない』と言えば、『そうよね、あの先生は悪いよね』と親子で一緒になって教師の悪口を言う

 

 このように「ほんの些細なことでクレーム」をつける親達にじっと耐えている教育者達に対して「今の教育は過保護すぎる」とたけし氏が同情しているのでしょうか?

そんな事はないでしょう!

過保護なのは親達ではありませんか!?

 

 更には、

 

A 一度、悪さをする男の子をちょっと小突いたら、数日してその子の親から「教育委員会に言ってクビにしてやる」という脅迫状まがいの封書が届いたことがあります

 

C 小中学生だと、親が若いだけに勢い〃でかかってきますが、高校生の親は理論武装〃しています。学校に文句を言う際のマニュアル本のようなものが保護者の間で隠れたベストセラトになっているんです。そこには「直接、教師に文句を言うよりも、教育委員会や校長、地元の議員から責めると効果的」などとアドバイスしてあるんです。そのマニュアル通りに私はやられました

 − どういった理由で。

C 成績表を生徒に渡した際に、「まだまだだな。次は頑張れよ」と励ましたことが「ほめてもらえなかった」と受け取られた。親が校長に文句を言って、私は校長から指導を受けました

 

 ここに述べられている

“「直接、教師に文句を言うよりも、
教育委員会や校長、地元の議員から責めると効果的」などとアドバイスしてある”の件は、
石原氏が行った行動そのものです。

 

 少し長くなりましたので、此処でいったん中断して、以下は、《いじめと石原都知事とビートたけし氏(2》に続けさせて頂きます。

 
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